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ヒトカラ(一人でカラオケをする)の考察

ヒトカラ(一人でカラオケをする)の考察

 

1.背景と目的および方法

:近年、カラオケにおいてヒトカラ(一人でカラオケにいく)というスタイルが確立された。社交の場としてのカラオケではなく、気晴らし、ストレス発散の場としてのヒトカラはどのようなスタイルとして行われているのだろうか。筆者はアクション・リサーチとして実際にヒトカラを行うことで、その特徴および気づき発見などを言語化し、その体験から考察を行う。

2.ヒトカラの概要:

「ヒトカラ」の実施は3月下旬某日、場所は横浜の某所である。カラオケボックスを経営する大手企業のひとつであるビックボックスで行われた。時間は17:00から18:00の一時間であり、ワンドリンク制を採用した。カラオケの機種は指定できず、DAMシステムであった。部屋の大きさはおおよそ15平米。二人がけのソファーがあり、二つのマイク、選曲のためのタッチパネル式のリモコンが装備されていた。照明は調整不可能なスイッチ型であり、明るさは室内の照明としては暗いほうであろう(※1)。リモコン上でアーティスト検索を行い、選曲を行う。この際に、映像が実際のアーティストのPV映像となっている楽曲も多く、また、アーティスト別の人気ランキグなど、多様なフィルターによって選曲を補助するシステムが備えられている。一曲目を決定し、この楽曲を歌い終わると、次の楽曲の選曲する。こうして、入力、検索、歌唱、入力、と繰り返して、一時間を過ごす。一時間に達する10分前になるとスタッフが扉を開けて、「10分まえになりました」と告げる。筆者は「あと30分延長してください」と告げて、実際には一時間半をカラオケボックスで過ごした。

3.考察

いくつかの点からヒトカラを考察し、その特徴を論じる。

    創発的楽曲選択の欠落

一人でカラオケをするにあたって、自分の歌いたい曲を歌うこと以上の選択肢は存在しない。つまり、「みんなで盛り上がる」とか「みんなが知っている」とかそうした他者との関係を一切考慮せずに選曲することはある種のストレスとなっていた部分を排除する。しかしながら、他者の存在そのものが、自分の選曲に影響を与えているという事実を強く感じることとなった。タッチパネル式の楽曲検索と選曲システムは、旧来のブック型よりも多くの機能を実装することで、歌い手の選曲を補助するようでありながら、実際のヒトカラでは、何を歌ってよいかしばしばわからなくなり、時間を無為に過ごしてしまった。(特に延長しておきながら、何を歌っていいかよくわからなくなり、時間だけが過ぎてゆく妙な焦りを感じる時間が10分程度生まれてしまった)他者の選曲が自分の選曲に大きな影響を与えており、また、同様のことが他者にも起こる創発的な関係にこそ、カラオケの娯楽としての価値を強く感じている自身について発見があった。つまり、「●●さんが■■を歌うなら、自分は▲▲を歌おう」「■■を歌うのか、なら、テーマを連動させて▲▲」を歌おうといった応答がカラオケの選曲に大きな影響を与えており、それもカラオケの面白さの1つではないかという発見であった。

    ランキングプログラムによる共時性と競争

予想以上に自分の中で高揚感があったのは、オンライン上での採点システムで同曲を歌唱中の人々とのランキングバトルであった。同じタイミングで同じ曲を歌っている人々とリアルタイムで順位が変動し、表示されるシステムは、ヒトカラの特徴である「ひとりでカラオケ」という状況を溶解し、闘争心に火をつける。しかし、個人的な結果としては、どの楽曲でも中位であり、自分の歌唱力の限界と位置づけを改めて確認することにもなり、純粋に「上手になりたい、上手に歌いたい」という願望をある程度呼び起こしながらも、それが困難であることを自覚するに至った。

    入店と退室、および延長時におけるためらい

ひとりでカラオケに行くという行為は自分が楽器の練習を行うなどの特定の条件を求める利用者以外にとっては、とても気恥ずかしいことのように感じ、入店そして、退室時の精算では、気まずさを感じてしまう。これは慣れかも知れず、20代の他者の目を気にする世代にとっては、自分以上にハードルの高いことなのではないだろうか、と感じた。ヒトカラは30代ではノーマルな行為ではない)

    アレンジなどのカラオケ音源の貧弱さ

ヒトカラの特徴ではないが、カラオケ音源やアレンジが原曲とくらべてあまりにも貧弱で、気持よく歌えないという楽曲がいくつかあった。打ち込み音源の限界で、全く別の曲のように聞こえてしまうものもあった。これも年々良くなっているように思うが、まだまだなものも多いと感じた。

4.まとめと今後について

ヒトカラがどのような特徴を持つものが実際に体験してみることからいくつからの気付きと発見を得た。創発的関係を基盤とし、社交の場としての前提を持つ筆者にとっては、なんとも間の持たない、面白みの欠ける楽しみ方であった。あらためて、カラオケが相互行為を前提とした社会の縮図ではないだろうかというような思考を巡らす機会となった。しかしながら、オンライン上の採点システムによって、他者との競争が可能になり、「一人」であることの前提のある「ヒトカラ」が多くの人とつながり、ゲーム性などを向上させていることは非常に興味深いものであった。こうした体験を踏まえ、複数人でおとずれる従来型のカラオケを実施することで、比較分析したい。また、料金に関して、空間との関係、選曲された楽曲の記録などから、関係性や状況の変化を観察し、さらなる考察を加えたい。また、楽曲提供のサービスなどをDAMシステムに採用されているものなどの積極的に利用などによって、ヒトカラのスタイルなどにも変化を加えて再度考察したい。

 

 


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