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「バベル」 [映画]


いい。ここ最近の作品ではずば抜けてよかった。
これは映画の何を評価するかということにもつながるが(最近勉強している基準か・・・)
そんなことも気にしないでつらつら書こう。

この映画のメッセージは
「この地球では、すべての人はつながっている。」
「当然、すべての人に固有の物語がある」ということじゃないだろうか。

この映画にはさまざまに解釈可能な社会的な問題を映し出しており、その一つ一つで、見た人間がどれに興味をもつか、ということでもある。見る人間を選ぶ映画でもあるかもしれない(何も感じない、もしくはよく分からないというリアクションも当然ながらありえる)。もちろん、沼田は勝手にこの映画をみていろいろと考えを深めたり、思いつくことがあったので、楽しかったわけだが、その面白さはタイタニックやハリーポッターのような面白さとはまったく異なると書いておかないといけない。

さて、
そもそもバベルっていう言葉が何をさしているかがわからないと、この面白さは半減する。
曖昧な記憶で書き出すと、そもそも思い上がった人間たちが天にも届かんばかりの塔を築こうとして神の怒りをかい、塔は破壊され、人々は言葉を分化させられ、共通の言語を失った。ということだったような気がする。
* 詳しくはしらべてみて。

物語はモロッコで起きたアメリカ人への襲撃事件から、さまざまな物語に発展するわけだが、その物語が個人の物語として世界に散らばり、その各地の話が非常にまとも(違和感なくみていられる、つまり、日本という国の間違った理解などまったくないまま)進んでいく。
英語、日本語もふくめて、5ヶ国語(手話も含む)が劇中に使われている。主人公の一人である女子高生が聾唖であるという設定が絶妙である。さまざまなことばをしゃべる人々、しかし、そもそもその言葉さえも話し、聞き取ることが障害として困難となっている人間。そもそも言葉を理解できない(身体的な障害によって)女性が身体的な経験を補完しようとする(つまり性的な関係を求める)のにも、不都合が生じる。
バベルの塔のような超高層ビルにすむ富裕層である彼女の家族は、まさにバベルの塔のように、それ以上の罪として言葉を奪い取られている。豊かな生活の中でもその満たされない欲求の中で、彼女が行き着くのは家族の再生であった。
この物語には登場人物たちのそれぞれの家族が描かれており、その家族のあり方として、関係性を模索する作品でもある(家族を失う人、家族を失った人、家族が増えた人、家族を取り戻した人)。この現代において、非常に示唆的な作品、こうした映画が作られたことは非常に喜ばしいことだ。

見た人によって感じ方は多様にありえるだろうな、という作品で、
ぴあなんかでは点数は非常に低かったが、べつにエンターテイメント作品というわけではないので、それは当然かもしれない。性的な露出があったことで、点数を落としたのかも知れないが、沼田的にはいわゆるアメリカのラブロマンスにあるメイクラブなんかより意味あるシーンだったと思う。
ということで、沼田的には高得点。


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