TOIEC テスト(宗教儀式としての「試験」)
toiec testの日だった。
しかし、あれだけ人間があつまり、
静寂なる空間を作り出す「試験」というのは、
非常におもしろい<イベント>だなと思った。
試験管の人がアルバイトなのだろうか?
全部で4人のそれぞれに委ねられている仕事が同じようで、
少しずつ違い、おそらく、当日初めて顔を合わせた同士なのだろうが、
どうもギクシャクして、違いがたいに「あってる?ねえ、これでいい?」みたいな
やりとりをしているようにみえた。
また、経験者とそうでない人で、「おい!それちがくね?」みたいな表情を互いにしていたり、
基本的になにもすることがないので、この4人の観察することが非常におもしろかった。
また、受験者は全般的に女性が多いように感じた。
多くは20代だろうか、学生さんが多いように感じた。
それと、30代前半までの人が中心になっているように感じた。
「10分までに受け付けてほしい」と受験票には書いてあるが、
実際には20分くらいまで受け付けていたと思う。
それは、やっぱり、ここまできて「受けられませんよ!」とはいえないしね。
それにそても、本当に静かで、普段ではこんな状況を体験できないので、
この緊張感はとてもよかった。
試験自体は45分のヒアリングと75分のリーディングなわけだが、
この2時間の集中力はここ2年間にないものだった。
試験というのは、まさに短距離走のようなもので、
瞬間的に能力を最大値まで使い切る、非常に疲れるものである一方、
そのやり終えた感はなかなかよいものだった
(ぜんぜん、問題が解けなかったとしても)
また、入学試験のように問題用紙を持ち帰ることもできず、
友人同士で同一会場を試験場所に選べないので、
終わってからの引きもものすごく早い。
おそろしく、静かに人が集まり、
そして、帰って行くというこの静寂の中での集合と集中、解散はある種の宗教的な善なるものへの祈りの会にも通ずるものがあるように思った。
試験とは、ある「絶対的なもの」に対する審問であり、
そこには自分の「偽りなき力」がためられ、審判が下される。
こう考えると、決して、「信仰」を持たない人間でも、
「試験を受ける」という行為により、
ある種の宗教的な体験をしていることになるのではないか、
と思うのだった。
そんな能書きはいいか。
しかし、あれだけ人間があつまり、
静寂なる空間を作り出す「試験」というのは、
非常におもしろい<イベント>だなと思った。
試験管の人がアルバイトなのだろうか?
全部で4人のそれぞれに委ねられている仕事が同じようで、
少しずつ違い、おそらく、当日初めて顔を合わせた同士なのだろうが、
どうもギクシャクして、違いがたいに「あってる?ねえ、これでいい?」みたいな
やりとりをしているようにみえた。
また、経験者とそうでない人で、「おい!それちがくね?」みたいな表情を互いにしていたり、
基本的になにもすることがないので、この4人の観察することが非常におもしろかった。
また、受験者は全般的に女性が多いように感じた。
多くは20代だろうか、学生さんが多いように感じた。
それと、30代前半までの人が中心になっているように感じた。
「10分までに受け付けてほしい」と受験票には書いてあるが、
実際には20分くらいまで受け付けていたと思う。
それは、やっぱり、ここまできて「受けられませんよ!」とはいえないしね。
それにそても、本当に静かで、普段ではこんな状況を体験できないので、
この緊張感はとてもよかった。
試験自体は45分のヒアリングと75分のリーディングなわけだが、
この2時間の集中力はここ2年間にないものだった。
試験というのは、まさに短距離走のようなもので、
瞬間的に能力を最大値まで使い切る、非常に疲れるものである一方、
そのやり終えた感はなかなかよいものだった
(ぜんぜん、問題が解けなかったとしても)
また、入学試験のように問題用紙を持ち帰ることもできず、
友人同士で同一会場を試験場所に選べないので、
終わってからの引きもものすごく早い。
おそろしく、静かに人が集まり、
そして、帰って行くというこの静寂の中での集合と集中、解散はある種の宗教的な善なるものへの祈りの会にも通ずるものがあるように思った。
試験とは、ある「絶対的なもの」に対する審問であり、
そこには自分の「偽りなき力」がためられ、審判が下される。
こう考えると、決して、「信仰」を持たない人間でも、
「試験を受ける」という行為により、
ある種の宗教的な体験をしていることになるのではないか、
と思うのだった。
そんな能書きはいいか。
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